思考|働くとは何か*労働という概念の解放*

思考で繋ぐ

『働く』という言葉を聞いた時に、まず最初に何を思い浮かべますか?

恐らくですが、「生きるために必要なこと」や「稼ぐこと」ではないでしょうか。

逆に『働かない』という言葉だったら、「社会的信用がない」や「怠け者」みたいなイメージだったりしないでしょうか。

ことわざにも『働かざる者食うべからず』とある通り、生きること=働くことという関係性は先祖の代から植え付けられている概念もしれません。

果たして、生きること=働くことなのか、今回はこのテーマを深掘りしてみたいと思います。

働くことが辛いと感じているかたにこそ、是非読んでいただきたいです。

働くの語源を知る

まず、「働く」という言葉の意味について調べてみました。

  • 仕事・労働をする。
  • 機能する。
  • 精神などが活動する。
  • 悪事をする。
  • 動く、体を動かす。

ざっくりこんな意味を持つようです。

特段変化球もなく、普段からそれぞれの意味で使っているんじゃなかろうかと思います。

元々中国では「動く」という漢字そのものに働くという意味が含まれており、日本語で書く「働く」は日本の国字に該当するようです。


続いて語源について深掘りしてみます。

人が動くで働く」という字になりますが、色々と調べている中に「傍(はた)を楽にする」という意味合いで作られたのではないかという説がありました。

傍というのは自分以外の人を指しており、要するに自分以外の人を楽にするという意味。

ちょっとこの説に納得いかず、更に調べていると下記のように解釈されているものもありました。

働くの語源は、「はためく」と同様に「はた」という擬態語の動詞化と考えられている。
本来、はたらくは、止まっていたものが急に動くことを表し、そこから体を動かす意味となった。
労働の意味で用いられるのは鎌倉時代からで、この意味を表すために「人」と「動」を合わせて「働」という国字が作られた。

その他、働くの語源は「傍(はた)を楽(らく)にする」からで、「他者を楽にすること」と言う人がいるが、このような組み合わせで動詞が生まれることはあり得ず、言葉遊びであって語源ではない。

引用元:語源由来辞典

個人的な受け止めですが、こちらの解説にとても納得。

恐らくですが「傍を楽にする」というものは啓発的な意味合いを込められて作られた概念ではないのかなぁと。

そもそも働くこと=労働なのかという疑問も出てきました。

これはもう少し色々な視点から深掘りする必要がありそうです。

労働とは何かを考える

主観ではありますが、どうも「働く=労働」という認識が強くて強くて…更に言えば労働という言葉に対してネガティブな印象を持っています。

労働とは果たして一体何なのでしょうか。

Wikipediaを参照するとこのように記載されていました。

人間と自然との関係にかかわるある種の過程[3]、人間が自身の行為によって、自然との関係を統制し、価値ある対象を形成する過程を「労働」と呼ぶ[3]。

人間は古今東西、太古から現代にいたるまで、どの地域でも、何らかの生産活動により生きてきた[4]。そうした生産活動を「労働」と解釈するようになったのは、近代以降である[4]。

3. ^ a b c ブリタニカ百科事典
4. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『哲学思想事典』岩波書店、1998年、1736-1737頁。

引用元:Wikipedia

なんかちょっと難しい言い回しだぞ…。

更に別のサイトではこのように記載されていました。

労働とはさしあたりは人間が自己の内部に存在する肉体的・精神的能力を用いて、目的意識的に外部の自然に働きかけることによってそれらを人間に役だつように変化させる活動のことである。

労働を通じて人間は自然界から生存に必要な生活諸手段を獲得することが可能になる。自然についての人間の認識、自然に働きかけるにあたっての目的の確定、自然へ働きかける人間の行為――これら一連の人間の活動が労働である。

クモやミツバチはみごとな巣をつくるが、これは本能によるもので、人間の労働のように前もって頭のなかで構想していたものを実現するのではないから労働とはいえない。

尾関周二著『言語的コミュニケーションと労働の弁証法』

引用元:コトバンク

要するに、人間が自然に対して能動的に働きかけて、人にとって価値あるものあるいは役に立つものを生み出す一連の動作(生産活動)を労働と呼ぶことになります。

一方で、人間以外の生物の活動においては労働は一切発生しないということにもなります。

とすると、人間の活動の多くは自然の理や循環から外れているという風に捉えることもできますでしょうか。

しかし、これは本来の労働とは何かという語源中の語源。

Wikipediaの引用文を見ると、生産活動を「労働」と解釈するようになったのは、近代以降であるとの記載がありますが、イメージとしてはこちらの方がまぁしっくりきますよね。

だからこそやはり拭えない、労働=ネガティブなイメージ。

もう少し、この労働に対する考え方について深掘りしてみたいと思います。


労働観の変遷

本来の労働とは、人間が自然に働きかけて生活の諸手段を生み出す行為を表す言葉でした。

一方で、先ほども書きましたが、どうしても労働=ネガティブなイメージが拭えない訳でして…。

そこで、少し労働観の歴史について見てみたいと思います。

世界の労働観の変遷
  • 古代ギリシャ(〜ローマ時代):労働(農耕作業等)は苦役。
  • 古代・中世キリスト教世界:労働は神が与える罰。
  • 近代キリスト教世界:労働は神に与えられた天職や使命。
  • 近代市民革命:労働の宗教からの切り離し・世俗化。
  • 近代産業革命:真面目に労働することは良いこと。(働くことは成功へと導くことができる)

やはり世界の歴史から見て、この「労働」に対するイメージに紐づいているのかなと思います。

特に近代以降では労働は宗教から切り離されたこともありますが、新大陸アメリカ開拓時代では真面目に働ければ成功へと導かれるといった「アメリカン・ドリーム」が流行ったこともあって、なんとなくその思想が現代社会まで続いているのかなぁと。

しかし、歴史の中で必ずしも否定的な思想を植え付けられているとは言い難いのかなと思います。(学校教育で植え付けられているのかもしれませんが…。)

では、次に日本の労働観について見てみます。

日本の労働観の変遷
  • 縄文時代:労働という概念がなく、自由に平和に生きていた。
  • 弥生時代:ムラからクニ社会への変遷。稲作が普及し、労働力が必要となった。
  • 古墳〜平安時代:貴族(公家)の時代により権力者のもとで多くの労働力が必要とされた。
  • 鎌倉〜室町時代:武士と貴族の時代。農民は年貢の他に、公事と夫役が課せられた。公事は手工業製品や特産物を納め、夫役は労働で納める税のこと。
  • 江戸時代:人口増加に伴う生産性増大に向けてより労働力が必要となった。しかし、勤労スタイルは最も自由なものであったとされる。
  • 明治時代以降:労働という概念が海外から輸入され、時間に制約的な働き方が普及した。生産効率性を高めるために機械化が進み、労働は単純化していく。

本当にざっくりしすぎているほど簡潔的にまとめてみましたが、今の働き方のベースになっているのはやはり明治時代になってからでしょうか。

特に、縄文時代や江戸時代は争いがない時代であったために、現代日本と比較しても働くことは時間に制約されずにもっと自由でのびのびしてより人間的な生き方ができるものであったんじゃないかと思います。

一方で、明治時代以降の労働はやはり時間が制約されたことに加えて、生産性向上による機械化がより人間らしい生き方が失われたんじゃないでしょうか。

そりゃ労働=ネガティブなものとして捉えてしまいますよね。

働く=労働なのか

少し僕の話にはなりますが、僕自身働くことに対してとてもネガティブなイメージを持っています。

なので、中学、高校、大学へと進むにつれてどんどん社会人にならないといけないというプレッシャーが嫌で嫌でたまりませんでした。

なんでこんなにも働きたくないんだろうなぁとつくづく思いますが、それはやはり、働く=労働であるというイメージがあるからだと思います。

労働に対するネガティブなイメージは先ほどのセクションでも述べた通りで、どうも縛られるものという印象が根強くありまして…。

更には、安定した生活を営むために、特にやりたくもない仕事に就いて、朝から晩まで働いて、週休二日休みで…みたいな暮らしに何の憧れも抱けなかったんだと思います。

もちろん好きな仕事に就いて暮らされている方も大勢いらっしゃるとは思うのですが、僕の人生においてはそう言う人がほぼ皆無だったのも影響しているのかもしれません。


しかし、そもそも働くと労働は意味が同じなのでしょうか。

現在社会を踏まえると、この二つの言葉は下記の通りに解釈できます。

  • 働く:頭や体を使って仕事をする。
  • 労働:賃金を得るために頭や体を使って仕事をする。

どちらも仕事をするという意味では同じですが、労働の方はお金を稼ぐことを念頭においた意味になるようです。

今の社会はお金で物を買ったりサービスを受けたり、何をするにしてもお金が必要。

逆を言えばお金がなければ何もできないと言っても過言ではない世界。

だからこそ、賃金を得なければならない=労働しなければならない

これはもはや思考停止していてもそんなこと当たり前だ、みたいな固定観念が刷り込まれていると思うのです。


一方で、働くと言う言葉はあらゆるシチュエーションで使われていますよね。

賃金が発生しないようなシチュエーション、例えば家の手伝いとかもそうですし、物理学の世界でも”力”が働いているみたいな使われ方もしますし…。

あくまでも、働く∋労働(労働は働くの要素)であって、働く=労働ではないんです。

でも、ほとんどイコールで使われている…。

では、両者の言葉に共通している「仕事」とは一体何なのか。

次はこの言葉について掘り下げてみようと思います。

仕事と為事

まずは仕事の語源についてみていきます。

仕事とは、為事と書いて「為る(する)」+「こと」が元々の語源。

本来の漢字表記は為事であって、”“の部分は音からの当て字で”“事になったと言われています。

しかし江戸時代では、「為る」を「仕る」と書く事例が多くあったようで、そこから使われている可能性もあるようです。

いずれにせよ、「仕」は『仕える』言う意味にもなりますので、仕事だと「誰かに仕える事」と言うような捉え方にもなります。

この仕えるという部分にちょっと抵抗があるというか、やはり僕の中ではしっくりきません。

一方で、為事だと単純に「すること」とか「なすこと」とかになりますので、なんかこっちの方がスッと自分の中に入ってくるような。

ちなみに、明治時代の有名な文豪でもある森鴎外は仕事のことを為事とあえて書いていたようです。

誰かに仕えることではなく、全ては生きるために為る(する)ことである。

すごくしっくりきました。

仕事という言葉に対しても、何か漠然と重いイメージで受け止めていたのですが、なるほど「為事」であればすごくしっくりきました。

まとめ

今回の要点をまとめてみました。

  • 労働がネガティブなイメージは歴史観によって植え付けられてきたもの。
  • 働く=労働ではない。
  • 仕事の元々の語源は為事であり、仕える事ではなくてただ何かをすること全てを指す。

本来、働くということは生きる全てだと思うのです。

それは決して労働ではなくて、自分にとって生きがいであること全て

そしてその生きがいとなることをする事、それが為事である。

余談ですが、働かざる者食うべからずということわざがありますが、これって新約聖書の中の一節に「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」という部分がベースになっているらしいのです。

なんか日本の古くある文化的思想なのかなぁと思っていたのですが、バリバリの宗教観から刷り込まれたものだったとは…。


今自分が何をしたいか。

それがその人にとっての為事であり、実際に行動になればそれはきっと働くということ。

どうでしょうか。

働くという言葉に少しでも抵抗とかネガティブなイメージが払拭できたなら嬉しいです。


それでは今回はここまで。

倖せが繋がりますように★彡*iᵕi*★


✼Comment✼

  1. ムーミン より:

    凄く深い内容ですね〜
    めっちゃ共感しました!

    私も今、好きなことをして収入を得ています。
    楽しく仕事をしているので、全然苦にならないのです(笑)
    そして気がついたら、働く時間は会社勤めの頃よりグンと減ったのに収入は前よりも増えているという不思議な現象が起きてます(笑)

    nanaumeさんのお考えとてもステキだと思います
    生き方(?)が柔らかいというか
    自然というか……とても優しくて温かいエネルギーが伝わってきます。

    そしてブログの名前も凄く素敵‼️
    akiさんのお名前が入っているところもnanaumeさんの愛❤️を感じて胸キュンしちゃいました!

    後で過去ブログも読ませて頂きますね
    ありがとうございました
    (*ˊ˘ˋ*)。♪:*°

    • アバター画像nanaaki より:

      ムーみんさん!
      いつもありがとうございます✨
      しかもブログまで読んでいただき本当に嬉しい限りです

      ムーみんさんは今まさに好きなことをして生活されていたのですね!!
      こうして実際に具現化されている話を聞くと、本当に色々な自身につながります!

      優しくて温かいエネルギーが伝わって本当に嬉しいです☺️✨
      更にいうと何かの運命なのか、akiは僕の名前の一部でもあったりするのです
      akiが二人で璃色(あきいろ)なんてちょっと洒落てみました

      今後ともよろしくお願いします!!!

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