思考|倖せ繋ぎをすすめる理由*幸せと倖せの違いとは*

思考で繋ぐ

僕自身はこれまで色々としあわせについて考えてきました。

それはなぜかというと、
「自分自身がしあわせ」ではなかったから。

しあわせを感じる瞬間はたくさんあったけど、
心からしあわせであるという実感が全くもってなかったのです。

そもそもしあわせって何だろうか。

そんな僕がしあわせについて調べて考えて、
そしてなぜ倖せ繋ぎをすすめたいのか。

今回はそんな漠然としたテーマについてお話ししていきます。

ぜひ最後までお読みください!

幸せと倖せの違いとは

どちらも同じく『しあわせ』と読みますが、僕は二つの漢字の意味を少し違ったニュアンスで捉えています。

 『“幸せ”自分ひとりで感じるしあわせ

 『“倖せ“は人との繋がりの中で他者との間に生まれるしあわせ

学術的な語源の意味の解釈としてはおそらく違うとは思うのですが、そんな風に解釈されている人のコメントを見て、

「なるほど…めちゃめちゃ素敵!」と思い、自分も倣って使っています。

実はこの漢字に初めて出会ったのは、とある素敵な農園さんに併設しているカフェのメニュー表に書いてありまして。

豆腐も豆富って書いてあったり、漢字の使い方がとてもオシャレ。

余談ではありますが、またお野菜も新鮮で、お料理も本当に美味しくて・・・。(こちらの詳細はまた記事にします。)

漢字一つで何を大袈裟に…と思われるかもしれませんが、普段から何氣なく使っている漢字や言葉には色んな意味が込められていると思っています。

その意味を理解して、あえて使用することで、言葉通りのエネルギーが乗せられるんじゃないかと、僕はそう思っています。


幸せの漢字の由来とは

では、幸せという言葉はいつ生まれたのかについて見ていきましょう。


これは、遡ること室町時代。

元々は「為る(なる)」と「合わせる」を合体させて「しあわせる」という言葉が誕生しました。

漢字で書くと、仕合わせる

室町時代ではこの言葉は、「動作が合う、めぐり合わせ」という意味で使われていたようです。

要は、めぐり合わせが良いとか悪いとかを、仕合わせが良いとか悪いといったような動的な状態をあらわしていました。

これが江戸時代以降になると「仕合わせが良い」という意味だけが残り、やがて「しあわせ」=「幸福」である状態を表すように変化したと言われているようです。

この幸福の幸の部分をあてることで「仕合わせ」から「幸せ」という文字が誕生したのです。


この「幸」という漢字の由来についても見ていきましょう。

諸説あるようなのですが、今回は3つの説を取り上げてみます。

 ① 手かせを描いたもの。

 ② 屰(げき:逆らう)と夭(よう:死ぬこと)で構成されたもの。

 ③ 上下から発せられる氣を描いたもの。

①手かせを描いたのもの

手かせの象形文字を由来としているもの。

要するに「手かせをはめられるのを免れることができた」=「幸運である」といった旨を表しているようです。

②屰と夭で構成されたもの

中国の字書(漢字を分類した辞典)によると、幸は屰(げき)と夭(よう)から構成されているそうです。

屰は「逆らう」、夭は「早死にする」を意味しています。

つまり、この二つの漢字を持ち合わせる「幸」は「若死にしないで長く生きること」の意を表しているようです。

③上下から発せられる氣を描いたもの

こちらを引用させていただきました。

「上下から発せられる“気”」とは、天から発せられる“気”と地から発せられる“気”であり、二つの気が和合する形に描いたものが「幸」という字となったのである。

つまり、「幸」という字は、「天地の“気”が和合することによって生まれる恩恵」を表している。

引用:命名字解HPより

手かせの説がおそらく一番有力とされているようなのですが、個人的にはちょっとしっくりこないところがありまして。

そんな中で出会った③の説である「上下から発せられる氣を描いたもの」がとてもしっくりきました。

まさに、空からのエネルギーと地面からのエネルギーが和合する場所…つまりそこはまさに私たちが生きているこの地上の世界のことなんじゃないかと。

それはつまり、空からはお太陽のエネルギー、そして地面からは地球のエネルギー。

この二つのエネルギーによって水があり、草木が生え、動物が生き、私たち人間はそれらの恩恵をいただきながら生きているわけです。

それが幸せという漢字の究極的な語源。

更に言えば、倖せはにんべんがついているので、こういった解釈にもなるわけです。

「上下に位置する人と人との心が和合することによって生まれる幸福」

「人と人との調和がもたらす幸福」

引用:命名字解HPより

とても素敵な解釈で、僕の中ではとてもしっくりきています。

まさにこのブログのテーマでもある倖せ繋ぎにぴったりの内容なので、僕自身はこの解釈を採用しています。


しあわせは感情なのか

突然ですが、皆さんはどんな時に幸せと感じますか?

美味しいご飯を食べている時、好きな音楽を聴いている時、お風呂に入っている時、好きな人と一緒にいる時、お風呂に入っている時…etc

と挙げればキリがないですが、人によって幸せを感じる瞬間はほんとそれぞれだと思います。

特に、非日常的な時に込み上げてくる幸せという感情に対して、いつまでもこんな幸せが続けばいいなぁ…なんて思ったことはないですかね。

例えば、旅行している時とか、友達と遊んでいる時とか、好きな人と一緒に過ごしている時とか。

きっと思い当たる節があると思います。

でも、「続けばいいなぁ」ってあたかも「続かないよなぁ」というニュアンスになってしまっていることに氣がついているでしょうか。

そうなんです…。

きっと多くの人が、幸せは長続きしないものだと思い込まされているのです。

ではなんで思い込んでしまっているのかというと…。

行きたくもない学校に行って面白くない授業を受けたり・・・。

乗りたくもない満員電車に乗って行きたくもない会社であくせく働いたり・・・。

毎朝早起きしてご飯、洗濯、掃除、買い物と終わりのない家事をこなしたり・・・。

きっと多くの人が、日常時間の大半をやりたい事ではなくて、特にやりたくもないことで費やしてしまっているんじゃないでしょうか。

だからこそ、幸せと思う時間はご褒美だったり非日常的だったりしてしまうわけなんです。

まるで『自由のない日常という現実』に戻ってしまうことに嘆いてしまうんですよね…。

つまり、日常の大半は幸せな状態ではないので、幸せが続くとその反動で何か悪いことが起きるんじゃないかと恐怖心も生まれることも…。

なんという悪循環なのでしょうか。

では、果たして幸せって本当に続かないものなのでしょうか…。


答えはもちろん否ッ!なのです。

この現代社会、きっと多くの人が一日の大半の時間を会社、学校、家事に拘束されて自由に使えていないのです。

日 常|自由のない時間(会社、学校、家事)

非日常自由のある時間(遊び、旅行、趣味)

つまり、こういうこと。

であれば、これって逆にしてしまえばいいだけなんですよね。

日 常自由のある時間

非日常|自由のない時間

自由のある時間が日常であれば、それはきっとずっと幸せな状態。

あれもしたい、これもしたい、あれもできる、これもできる。

不満がなく望むことがなんでもできる状態

きっとこれこそが幸せの本質、いやきっと生きることの本質なんだと思います。

それ故に、幸せが続く続かないとか、反動があるとかないとか、これも全て思い込みからきています。

であれば、幸せに時間とか反動なんてものはないんだって逆に思い込めばいいだけです。

僕の中では幸せは感じるものというより、状態を表しているという意味が強いんじゃないかなぁと。

だからこそ、その時に感じていることに対して一喜一憂する必要は本来はないと思っています。

幸せは状態を表すからこそ、外からやってくるものではなくて自分自身がその状態にできるかどうかなのです。

とは言っても「自由なんて今すぐなれへんねん!」という声が聞こえてきそうですが、焦ることは一つもなくて、そういう自由のある生活をイメージするだけでもいいと思うのです。

イメージできる時点でもうそれは日常の一部になっています。

あとは、それぞれのタイミングで現実化していきます

思考の現実化についての記事はこちらにもまとめています。


結局、この社会ってストレスだらけなんですよね…。

だからこそ、「ストレスを軽減する行為が幸せなこと」だと勘違いしてしまっているのです。

それはきっと、脳内に分泌される幸せホルモンの働きが強いと思います。

そういった生理学的な幸せというよりも、自分自身が豊かで、好きなことを好きなタイミングに自由でなんでもしていいんだって、それが私の日常なんだって、そもそもストレスの負荷をかけない生活を目指すことが何よりも大切であると思います。

言うは易しとはよく言いますが、易いのであればなんぼでも言ってしまえばいいじゃないかと。

自分の現実を変えられるのは結局は自分だけなのです。

尚、そもそも働くということが何なのかということも考え直す必要があります。

働くことに対して考えている記事はこちらにもまとめています。


倖せ繋ぎのすすめ

このブログの本題である「倖せ繋ぎ」についてお話していきます。

その前に、このブログの要点を簡単にまとめてみます。

・幸せは自分一人で感じるもの。
 倖せは他者との繋がりの中で生まれるもの。

・幸せという漢字は天と地の上下から合わさった氣が交わる様子を現したもの。
 倖せは人と人との心や氣持ちが交わる様子を表したもの。

・幸せは不満がなく望むことがいつでもできる状態を表したもの。

幸せと倖せの漢字の成り立ちから、幸せとはどういうものかについてまでざっとお話ししました。

大事なことは、幸せは状態であって感じるものではないということです。

だからこそ、自分自身が幸せであるかどうかを自由に決めることができます。

楽しいや嬉しいという感情を得ているときはきっと幸せな状態。

そういう感情をたくさん増やせる現実を作り出せるようにイメージしたり行動することに集中すればいいのです。

そして、自分自身が幸せな状態を、誰か他の人にも共有することができれば、その人にとっての幸せにも繋がるかもしれません。

この映画おもしろかったよとか、このお店の料理美味しかったよととか、ここの海綺麗だったよとか、きっと日常的にやっている人も多いんじゃないでしょうか。

これって、まさに自分の幸せを誰かに繋ぐことで、更に倖せを広げている行為だと思っています。

これが、倖せ繋ぎ

倖せが繋げられることが多ければ多いほど、自分自身はきっと幸せな状態で満たされていると思うのです。

これを繋げたい!あれを繋げたい!って思えるようになれば、きっとあなたは既に倖せマイスター。

よりたくさんの幸せを見つけられることに繋がると思います。

だからこそ、この「倖せ繋ぎ」をすすめたい。

どんどん倖せを繋いでいきましょう!


それでは今回はここまで。

倖せが繋がりますように★彡*iᵕi*★彡

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